歌うたいの生き方

歌うたいがいる。地元の友人「キクリン」である。
彼はこの夏にかけて精力的に趣味(本業にする気なのか)の音楽活動を関西圏を中心に敢行ている。キクリンの音楽性は以前にも触れたが、「音」を楽しむという意味では最も音楽を体現しているかもしれない。言葉を、ソウルを、身体全体で表現し、ギターから奏でられる旋律にすべてを注ぎ込む。あまりに自分に陶酔し目を覆いたくなるボーカルもいるが、キクリンに関してはその必要はない。そもそも、気軽にビール片手に視界に入るこむ程度の音楽であり、本来、音楽の本質はそういうものではないか。彼も納得するにちがいない。彼はこれからマイクロフォンを通じて何を伝達してくれるのだろう。同級生としてまた数少ない独身貴族として、今後も頑張ってもらいたいものである。
そんな彼に地元の駅前にある小さな音楽酒場に連れていってもらった。毎日利用しているのに店が奥まったテナントに挟まれているので知る余地もなかったが、狭い店内には手作り感いっぱいのステージがあり、ドラムやキーボードもちゃんと用意されてあった。カウンターと何席かの簡易なテーブルしかなく、要するに常連客や仲間内で好き勝手にセッションして歌う場所なんであろう。往々にこういう店の連中とは肌が合わないものなのだが、マスターはじめ客層は悪くなく、調子に乗って何曲かキクリンの演奏に合わせて披露してしまった。やはりオーディエンスがいるのといないのでは違うものだ。恥ずかしながら気持ちよくなって、おもわずこんな舞台を毎回経験しているキクリンに思わず嫉妬してしまった。とどのつまり、歌うたいにしろ、作家にしろ、俳優にしろ、誰かに提供して何ぼなのである。ぼくはその夜、ビールといっしょに己の慢心を飲み干し、ブルースに身を委ねたのだった。

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