震災の記憶

大阪北部地震の発生から1週間が経った。京都府南部から大阪府北部を中心に最大震度6弱を記録した大地震。その時間、ぼくは朝の通勤途中の電車の中だった。満員電車の中で一斉に携帯電話から受信速報の通知音が鳴りだし、乗客らは携帯画面を食い入るように見つめていた。異様な光景だ。すぐに走行中の列車からアナウンスが入り、幸いいちばん近い駅に緊急停車することができた。情報では震度6と表示されていたが、ぼくの住処は大阪南部なので、その瞬間はまったくといって揺れを感じなかった。ぼくらは駅に下され、停車駅のアナウンスに耳を傾け緊迫した中で事態を静観するしかなかった。駅の周りには人で溢れかえり、勤務先や知り合いの安否の確認など電話は通じないので、SNSなどを駆使して現況を報告している。結局その日は、電車が動き出したのは午後を回ってからで、会社になんとか到着したものの、古びたビルの5階にある事務所は資料が散乱し後片付けだけしてその日は帰宅した。
関西在住の方なら今回の震災で思い出すのは、やはり阪神大震災ではないだろうか。当時は中学生だったか。明け方、夢の中から突如、現実に引き戻されたとてつもない揺れに、親父が飛び起きてやってきた。ぼくは何もわからず揺れがおさまるまで布団にくるまっていた記憶がある。あのときも中心部から離れていたので直接何か被害を被ったわけではないが、兵庫県全域含め震源地の淡路島は想像を絶する光景だった。復興できるまでの数年間、マインドの支えは人それぞれだが、ぼくはプロ野球イチローが活躍していたオリックスブルーウェーブだったように思う。
あの体験での教訓として思うことは、予期せぬことが起こると人は何も反応できないということだ。いかに訓練や備えが大切かということであり、普段から心がけて食料などの備蓄をしているか。あらためて見直さなければならない。これは天災だけではなく、あるスポーツライターの言葉だが、仕事やスポーツの世界においても同じで徹底的に準備をきっちりしているものが勝ち上がっていくという。一理あるなと感心したものだが、これから余震や二次災害が予測される中で、南海トラフ地震の件もある。もう他人事ではない。安心は自分で買わなくてはいけない。
今回、被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復興を祈って。