女の戦い。そして別れ。

久しぶりの競馬場だ。今年は例年より桜が開花するのが早く、いつもならこの時期には白桃色の綺麗な桜が競馬場を包むのだが、残念ながらほとんど散っていた。花冷えで乾いた風が吹き抜ける中、それでも若き乙女たちの戦いは熱をおびて、入れ込んでいる。桜花賞だ。
桜花賞とは3歳限定の牝馬(女の子)のG1レースであり、中央競馬牝馬三冠競走(桜花賞優駿牝馬秋華賞)の第一関門となっている。AKBで例えるなら、最初のセンターは誰がやるのかといったところか。クラシック競争の一つで、阪神競馬場で行われるレースの中で一番華やかで盛り上がり、ここから何頭もの名牝が生まれてきた。
当日、現地は数えきれない競馬ファンが午前中からすでに溢れかえっていた。ぼくは早く「馬」を見たかったので、人ごみを押しのけてパドックサラブレットを覗き込んだ。やはり、美しい。光沢が眩しく毛艶がきちんと整えられ、澄んだ瞳がまたかわいい。大きな馬体を支える四肢は細く、まさに美脚である。この光景を人間に置き換えたら、おっさんたち大勢が真剣な表情で若い女性の裸体を鑑賞しているのだから、もはや犯罪であろう。ぼくは我に返り辺りを見回した。しかしまぁ、毎度のことだが本当にいろいろな人種がいるものだ。感心する。
ぼくが何故競馬というギャンブルに、スポーツに傾倒しているのかと問われると、競馬は誰しもを受け入れる間口の広さかもしれない。ここには大企業の社長もいれば零細企業の社長もいる。仕事をさぼってきた平社員や夜の勤めを終えたおねーちゃんもいる。破滅的なギャンブラーもいれば初々しいビギナーも。健常者から障害者。エリートからニートまで、そんな肩書や名声などここではまったく意味を持たない。ぼくらは他人でもあり仲間でもある。「祈る」という行為に共鳴し、ただ姿勢の問題だけですべての人間が「馬」という生き物の躍動に心を奪われ、目の前のレースに歓喜するのだけなのだ。その美しい漆黒の馬体に自分だけの何かを、もしくは人生を、みんな投影しているのだろう。だからぼくは競馬を人に勧めるときには、まず競馬場に誘うようにしている。そうでないと、のちのち競馬を知っていく上でどうしても避けては通れないからだ。この広漠で無限の空気を体感していないと、本当の競馬を知ることはできない。それは競馬以外の本質を見抜く力量を養うことにもなると、ぼくは思っている。
えらそうなことを記した。すいません。今回も馬券は外れました。
「春は残酷である」という。そう。別れの季節である。先日、同じ大阪で在住していた大学の同級生がこの春にめでたく婚約し、大阪から離れて千葉県に引っ越すことになった。お互い10代の頃からの付き合いであり、異性だが励まし合ってきた仲間として自分のことのようにうれしく思う。離れる前に何人かの知り合いで祝杯をあげた。18年前、初めて出会ったころのまだいたいけない彼女を思い出し、追憶に耽ると少し感傷的になった。彼女が嫁ぐことになり、いよいよぼくだけが取り残された。新緑の季節を迎える前にはなんとかしたいものだ。

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