スパルタンXが聴こえない

今年も6月13日を迎えた。この日はろくでもない友人の誕生日とは別に、ぼくにとっては殊に忘れられない日でもある。そう、プロレスラー、三沢光晴の命日である。
三沢が亡くなって今年で早8年を迎えた。忘れもしない2009年の6月14日の早朝。当時、東京で古びたアパートで暮らしていたぼくは、朝から二日酔いで酔いつぶれていた。そんなまどろみの中、突如携帯電話が鳴った。頭痛に耐えながらかろうじて液晶画面に目をやると、上京して初めて勤務したときにお世話になったアルバイトの先輩からだった。
「はい・・・。もしもし」「・・・・」。「もしもーし。田村さん?」「かばちゃん・・・。今朝のニュース見た?」「なんかあったんですか?」「三沢が・・・死んだ。」「えっ!?」
はじめ何を言っているのかわからなっかった。半分寝ぼけていたが、かろうじて意識は残っていた。電話の彼とはプロレス仲間で、陽が昇るまでプロレス討論会を二人だけで繰り広げたほど、熱い男でありプロレスを心から尊敬し情熱を傾けていた。そんな彼が朝から悪い冗談を言うはずがない。ぼくは完全に酔いが覚め、言われるがままにテレビをつけた。
三沢光晴選手が試合のあとに死亡しました」。ぼくはアナウンサーの口調や厳かな表情、試合後の三沢の経過や状況、死因など信じがたい映像と情報が耳には入ってくるが、気持ちはすでにそこになかった。
「嘘だろ・・・。あの受け身の天才がなぜ?」。しばらく放心状態でその場を動けなかった。そしてその日から仕事もプライベートも手につかず、ショックのあまり現実で起こっていることがすべて虚構に思え、あきらかに覇気を失っていった。
ぼくをプロレスの世界に引きずりこんでくれた選手が三沢光晴だった。往年のジャンボ鶴田タイガーマスクを脱ぎ捨て、三沢光晴として挑んでいった試合。若林アナ、竹内宏介氏の解説陣もさることながら、試合の展開からラストまですべてが完璧で、あの試合を超えたプロレスをぼくは知らない。
三沢が亡くなって1ヶ月が経とうとしていた。ぼくはあい変わらす鋭気を失い、日常生活でも身が入らない状態が続いていた。そんなとき、「三沢光晴選手の献花式」がディファ有明で執り行われることになった。ぼくはこの日を待っていた。何か三沢のいちファンとして、声をかけてあげたかった。一般人でも参列できることもあり、先輩にも声をかけたが、どうしても都合がつかないとのことで先輩の分も含めてひとりで会場に向かった。
最寄り駅に着くなり、ぼくはその光景に驚き内心「そうだよな。間違いないよ」と納得し、頷いた。
最寄り駅から遠く先の会場まで人の波が長蛇に並び、全国各地からこれだけのファンが集合し三沢を悼む光景に、あらためて三沢光晴という男の存在と人柄に脱帽した。ぼくは会場まで何時間かかるかわからない「最後尾」と書かれたプラカードの横に並んだ。なぜだろうか。時折吹くそよ風が心地よかった。そして会場にたどり着く頃にはすでに涙が頬を伝っていた。団体選手一同、関係者各位が心を殺して事務的に仕事をこなし、大勢の参列者の対応に追われていた。その中に三沢光晴の最後の対戦相手であった斎藤彰俊の姿があった。実は三沢の最後は、斎藤のバックドロップを受けて立ち上がれなくなり救急車で病院に運ばれ、結果的にその技が決定打になってしまったのだ。斎藤は涙を流し懺悔の日々を送り、心許ない人間たちからの嫌がらせや罵倒を受け、自殺寸前にまで追い込まれていた。斎藤は参列者が前を通り過ぎるたびに頭を深々と下げていた。そしてファンからの「負けるな、がんばれー!」「これからも応援します!」などの掛け声に大粒の涙をこぼしていた。
これだけは述べておきたい。三沢の死因は受け身の天才故、これまでの危険な技をすべて受け止めてきた蓄積と、ノア新団体旗揚げからの社長業の筆舌に尽くしがたい過度の疲労であり、それは晩年の三沢の顔色や弛緩した張りのない腹回りをみれば一目瞭然である。月日が経ってもいまだに斎藤の批判を語る奴は、三沢に代わってエルボーを叩き込んでやるので覚悟してほしい。
大御所のレスラーたちが見守る中、特別リングを設置しそこに次々に数えきれない花束やグッズが投げ込まれていく様がなんとも切なく、飾られた三沢の遺影が霞んで見えた。酒好きな三沢のために買った缶ビールは、たどり着くあいだにすでに冷めきっていた。ぼくは「三沢さん、許して」と精一杯握りしめリングに向かって投げ込んだ。会場は三沢の入場曲「スパルタンX」がレクイエムとして黄泉への餞として流れている。ぼくは拳を何度も突き上げ、本当に府立体育館の天井に届くと思っていた「三沢コール」をもう一度だけその場で三沢の遺影に向かって突き刺し、「ありがとー!」と一言だけ声に出して会場をあとにしたのだった。
個人的な追憶を綴ったが、ぼくにとってそんな6月13日は「無意味な日」ではなく「有意な日」として、心に刻み込まれている。

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