燃えよドラゴンズ!

最近、出張で名古屋に訪れる機会が多い。いまでこそ名古屋という場所や土地柄がわかるようになったが、そもそも「愛知県」とは呼ばず、「名古屋に行ってくる」で通ずる不文律が成立すること自体、ぼくが不可解な場所にさらしめていた。日本列島の真ん中に位置し東西の中心的場所にありながら、どうも文化や経済の屋台骨としてうまく機能していないきらいがある。ビジネスでよく愛知県民と京都府民の近似的な部分が話題に上がる。それは否定的な意見で、どちらの県民も会話の中に感じる表向きとは違うどこか腹を見せない態度がどうも苦手だというのだ。ぼくもその意見には肯く。悪気がないのはよくわかる。ただ、腹を見せて「どうや」という多くの関西人のビジネスからしてみれば、そういう気取った態度が鼻持ちならないのだろう。もしかする東京の一極化がこうまで進むと、名古屋に住んでいる人たちには大阪のようにそこまで張り合う必要性がないと感じているかもしれない。実際、名古屋には天下のトヨタがあり、名古屋駅前の再開発にしろ自動車分野や建設業界ほか、しばらくは好調を維持するに違いない。東西の中立的なポジションで独自の文化を今後も続けていくだろう。
ぼくは決して名古屋が嫌いではない(念のため)。その証拠にぼくは食べることを好むので、名古屋に訪れたときには名物を味わうことが楽しみだ。「きしめん」「手羽先」「ういろう」「ひつまぶし」「味噌カツ」「小倉トースト」。名古屋にはメディアで取り上げられた名店が数多く存在する。先日も久しぶりに立ち食いそば(きしめん)の「住よし」の暖簾をくぐった。ご存知の通り、新幹線名古屋駅ホームに構える、立ち食いそば信者の文字通り駆け込み寺である。新幹線から降りてこのきしめんがまず初めに名古屋に来たことを実感させ、時間にタイトなサラリーマンたちのお腹を満たし鋭気を養ってくれる。恐ろしいほど無愛想な親父が目を疑うほど素早い手際できしめんをカウンターに並べると、どんぶりからの湯気とそばつゆの香りがなんともいえない。名古屋を知らない方や否定的なご意見がある方は、改札をくぐる前に一度味わっていただきたい一品である。

f:id:kaba1981:20180610114619j:plain
f:id:kaba1981:20180610114646j:plain

麻雀界の巨星、墜ちる

小島武夫」さんが亡くなられた。82歳だった。
麻雀に陶酔している方や少しでも牌を握ったことがある方なら、その名を知らない者はいないだろう。
「ミスター麻雀」の異名を持ち、数々の伝説を残してきたプロ雀士である。日本プロ麻雀連盟の初代会長であり最高顧問として、戦後からの日本の麻雀界の礎を築いてきたといっても過言ではない。自らも当時深夜の人気番組「11PM」に出演し、「麻雀」という世間ではギャンブル色が先行していたイメージを払拭し、日本の麻雀人口がどれほどかはわかりかねるが、少なくとも市民権を得るようになったのは小島武夫のおかげであろう。ぼくにとって「小島武夫」「阿佐田哲也」「桜井章一」の御三家は、その生き方も含めて男として痺れるレジェンドとして今もリスペクトしている。
小島武夫の魅力は何と言ってもその「カリスマ性」である。勝負はもちろんのこと「魅せて勝つ」ことを信条に、卓を囲む面子やテレビの視聴者に対して、華やかに、鮮やかに、そしてプロの誇りを背に牌を切る。なので、試合によっては一度もあがることなくオーラスを迎えたり、ハコテンになることもしばしばある(麻雀用語についてはご了承ください)。ただ、どの一局もそれは小島武夫であってぶれることなく意固地に手役を狙いにいく。おそらく、現代麻雀においてその戦法は「古い」とか「割が合わない」といった理由で敬遠される打ち方なのだが、ぼくはその打筋にどこか共感する部分があった。どの試合も勝とうが負けようが小島武夫であって、それ以上も以下もない。そういう人間が少なくなってきている。
晩年の小島武夫は、テレビやアーケードゲームなどメディアや媒体を問わず、80歳を超えても精力的に麻雀牌を握り、おそらく日本でいちばん有名なプロ雀士に違いなかった。
雀荘をたびたび倒産させ借金王となったり、2人の女性との間に子供3人を授かるなど、まさに八方破れな人生を送り好き勝手に生きた代表格である。ときに辛口に、ときに愛情ある含蓄を、出身でもある博多弁で小島節を愛嬌のある笑顔とともに振り撒いていた。全世代が何かしら影響を受けたはずで、当然、我が道を行く男なので嫌う人や批判する人もぼくのまわりにもたくさんいる。異端児特有の感性や相手を非難する解説など、受け入れられないのは仕方がない。それでも麻雀を打つ者は小島武夫の所作や発言にいちいち反応し、酒の肴にする。要するにスターなのである。その極めつけは、動画でも配信されているが、テレビ対局での伝説の役満九連宝燈」であろう。最後に「九萬」を引き、牌を倒すまでの一連の所作が見事というほかない。知らないうちにぼくらは目を奪われ、勝負の流れを追っている。小島武夫たる人間が麻雀という盤上で繰り広げられる、ある種人生ゲームのギャンブルに君臨してきた理由が垣間見ることができる。
小島武夫に纏わる出版物や過去の映像などありたいことにたくさんある。故人を偲び、この機会にその華麗なる雀風や生き方をあらためて目に留めようと思う。
「先生、お疲れさまでした」。合掌。

居酒屋紹介①

夜の帳が下りる頃、いつものように暖簾をくぐる店を今回は紹介しようと思う。
店の名前は「呑みどころ・卯」。うさぎと読む。店名の由来は7年前にオープンした年が卯年で、たまたま大将本人も年男だったことに因んで縁起を担いで頂戴したとのこと。先月には7周年をめでたく迎え、常連客を招いて記念イベントを開催したところだ(ちなみに提案者は小生である)。
場所は大阪市内の西区江戸堀にある。大阪駅に向かって四つ橋筋沿を歩き、靭公園を越えて郵便局を左に折れる。最寄り駅は地下鉄四ツ橋の線肥後橋駅が近く交通の便もありがたい。地図など詳細は「呑みどころ・卯」で検索してもらうといい。
このお店。ぼくの上司が行きつけの飲み屋が潰れてしばらく居酒屋難民に陥っていたころ、会社近辺から帰宅道中に至るまで、自分の好みの条件を満たした飲み屋を探索しつづけ、やっとこさ開拓したお店である。そこにぼくがほいほいとついていったわけだが、はじめて訪れた時、流石に上司の条件をクリアしているなと感じた。
まず①魚料理(刺身)がある。これは70歳のベテラン団塊上司ならではで年齢的に魚料理がないと厳しい。②テレビが置いてある。これも毎日ひとりで通う人には必須の条件で、話し相手がいなくてもテレビ相手に時間を費やせる(意外とテレビを置いていない店が多いのだ)。③店内の雰囲気がいい。店内の装飾。照明。大将の人柄や常連客のマナーなどなど。ここに一番重きを置いているのではないか。料理の旨さや値段などは二の次でもいいが、毎日通うのであれば居心地の良さは絶対で、雑音を排除し、ひとりの時間を大切にできる環境が整っているか。すべてをクリアしているこのお店を総合的に判断して上司は○を出した。
ぼくもかれこれ卯に通いだして3年ほどなる。いつの間にか大将と奥さん(アイちゃん)にパートのリエちゃんには、お店を離れて公私ともにお世話になっている。休みがあれば魚釣りやキャップ、競馬場などイベントに参加する間柄となった。この場を借りてお礼を申し上げたい。
正直、ぼくは居酒屋の条件にこだわりはないが、誰とその時間を過ごすかに尽きると思う。そういう意味ではカウンターで気さくな大将やアイちゃんと会話ができるのは非常にありがたい。
このお店の大将は脱サラしていまのお店を始めた。開店当初は料理もままならず、奥さんによく怒られた苦労話もおもしろい。平日は昼も頑張ってランチ営業を行い、お店が手狭なのは否めないが、夜も7時を回れば常連客で満席になる。まさに「兎の上り坂」のように繁盛していただきたい。
ぼくはここで、「あれがおいしい」とか「これが安いとか」あえて記載しない。実際に足を運んでみて、その人にお店の雰囲気を感じてもらうほうが正しいからだ。誰かに勧められたり世間で評判のいいお店も、つまるところ、目や鼻、口で、耳で、身をもって体現するほかないからだ。よく期待値が高くて裏切られたことはないだろうか。誰しもが「☆3つ」ではないのである。しかしながら、卯に初めて足を運んだ人は帰り際、大将の屈託のない笑顔と「ありがとう。また来てな」の言葉に、卯の名刺を必ずジャケットに忍ばせて帰るであろう。

f:id:kaba1981:20180518111634j:plain
f:id:kaba1981:20180518110304j:plain
f:id:kaba1981:20180518110338j:plain

大川峠

人生初の夜釣りを敢行してきた。ターゲットは「メバル」。
大阪から車で南下し、深日から和歌山に入り海岸沿いをしばらく走ると、加太の手前の紀伊半島の西端に山道が現れる。今回の釣り場である「大川峠」だ。この山道を登りつめて下ると、ゴロゴロした岩や石で形成された通称「ゴロタ浜」という遠浅の浜辺に、この季節型の良いメバルが釣れるという情報を耳にして勇んでやってきたのが経緯である。
ところが、話では聞いていたがこの大川峠は大川トンネルが開通してから、現在廃道になっており自転車を除き車両通行止めになっている。歩かなければならない。夕暮れ時に到着したぼくらは釣り道具を一式抱えて、急峻な坂道を登って行った。すると頂上に「大川遊園」という看板が目に飛んできた。すでに廃園になっている。この遊園がいつ開園され閉園されたのかは知らないが、ここを通らないとゴロタ浜にはたどり着けないと同行者はいう。言葉では形容しにくいが、なかなかの雰囲気を醸し出している。正直、怖い。森林が密集した中を進んでいくと、手入れがされずに荒れはてているレストランやジャングルジムなど当時のまま放置されている。まだこの時間だからたどり着けるが、周りは外灯もなくあと少し時間が遅かったら確実に引き返していただろう。こんな場所なので釣り人や何か用事がある人以外通ることはまずなく、ある意味治外法権である。ぼくは心霊とか怪談とかいわゆる「怖いもの」が得意ではなく、決して安易に囃し立てることない。生きとし生けるものの礼儀である。そんなことをおくびにも出さず引きつった顔で険しい山道を下ると、目の前に壮観なゴロタ浜がやっと姿を現した。近づくとやはり海水は大阪と違い透き通っており、潮の流れも悪くない。ぼくらは早速準備に取り掛かった。
メバルの釣り方はそれぞれで、若い子たちはとくにメバリングと呼ばれるルアー(疑似餌)が主流だが、われわれおっさん連中はやはり仕掛け重視の浮き釣り(電気)だろう。エサは今回アオイソメを用意した。メバルは警戒心の強い魚でちょっとした音や振動に反応するので、釣竿や道糸、ハリスは1号程度の細かい仕掛けで勝負するが、これが苦労する。日が落ちて暗くなると、まぁ見えない。なんとかライトの灯りで作業を行うが昼釣りに比べて時間も食うし、気づかずに海を照らすと魚も逃げるので仲間と行くときには神経を使うのだ。
この日は海のコンディションは悪くなかったが、風が強くまたほぼ満月に近かったので月光が水面を照らしはじめると警戒心の強いメバルたちは岸に寄らず沖に逃げてしまう。釣りには適していないが、ぼくは内心ほっとしていた。この灯りひとつない浜辺で、周りは鬱蒼とした樹木に囲まれて物音しない環境の中、とてもじゃないがひとりで夜を越せる自信がない。
ぼくは3時頃には眠気がピークになって、ゴロタ浜に打ち上げられた無限の投棄ゴミの中から適当な板を見つけて寝転んだ。見上げらると北斗七星が燦々と輝いている。贅沢なシチュエーションだ。月夜に照らされた凪ぎが幻想的に映り、一定のリズムで飛沫をあげている。うとうとしながらも、目を凝らして仲間の姿だけは確認していたのは内緒である。
残念ながら、メバルンルンとはいかなかったが、それなりにカサゴ(ガシラ)が釣れたので良しとして、朝日を背に受けながらゴロタ浜をあとにしたのだった。

f:id:kaba1981:20180501173210j:plain
f:id:kaba1981:20180501173241j:plain
f:id:kaba1981:20180501180126j:plain

女の戦い。そして別れ。

久しぶりの競馬場だ。今年は例年より桜が開花するのが早く、いつもならこの時期には白桃色の綺麗な桜が競馬場を包むのだが、残念ながらほとんど散っていた。花冷えで乾いた風が吹き抜ける中、それでも若き乙女たちの戦いは熱をおびて、入れ込んでいる。桜花賞だ。
桜花賞とは3歳限定の牝馬(女の子)のG1レースであり、中央競馬牝馬三冠競走(桜花賞優駿牝馬秋華賞)の第一関門となっている。AKBで例えるなら、最初のセンターは誰がやるのかといったところか。クラシック競争の一つで、阪神競馬場で行われるレースの中で一番華やかで盛り上がり、ここから何頭もの名牝が生まれてきた。
当日、現地は数えきれない競馬ファンが午前中からすでに溢れかえっていた。ぼくは早く「馬」を見たかったので、人ごみを押しのけてパドックサラブレットを覗き込んだ。やはり、美しい。光沢が眩しく毛艶がきちんと整えられ、澄んだ瞳がまたかわいい。大きな馬体を支える四肢は細く、まさに美脚である。この光景を人間に置き換えたら、おっさんたち大勢が真剣な表情で若い女性の裸体を鑑賞しているのだから、もはや犯罪であろう。ぼくは我に返り辺りを見回した。しかしまぁ、毎度のことだが本当にいろいろな人種がいるものだ。感心する。
ぼくが何故競馬というギャンブルに、スポーツに傾倒しているのかと問われると、競馬は誰しもを受け入れる間口の広さかもしれない。ここには大企業の社長もいれば零細企業の社長もいる。仕事をさぼってきた平社員や夜の勤めを終えたおねーちゃんもいる。破滅的なギャンブラーもいれば初々しいビギナーも。健常者から障害者。エリートからニートまで、そんな肩書や名声などここではまったく意味を持たない。ぼくらは他人でもあり仲間でもある。「祈る」という行為に共鳴し、ただ姿勢の問題だけですべての人間が「馬」という生き物の躍動に心を奪われ、目の前のレースに歓喜するのだけなのだ。その美しい漆黒の馬体に自分だけの何かを、もしくは人生を、みんな投影しているのだろう。だからぼくは競馬を人に勧めるときには、まず競馬場に誘うようにしている。そうでないと、のちのち競馬を知っていく上でどうしても避けては通れないからだ。この広漠で無限の空気を体感していないと、本当の競馬を知ることはできない。それは競馬以外の本質を見抜く力量を養うことにもなると、ぼくは思っている。
えらそうなことを記した。すいません。今回も馬券は外れました。
「春は残酷である」という。そう。別れの季節である。先日、同じ大阪で在住していた大学の同級生がこの春にめでたく婚約し、大阪から離れて千葉県に引っ越すことになった。お互い10代の頃からの付き合いであり、異性だが励まし合ってきた仲間として自分のことのようにうれしく思う。離れる前に何人かの知り合いで祝杯をあげた。18年前、初めて出会ったころのまだいたいけない彼女を思い出し、追憶に耽ると少し感傷的になった。彼女が嫁ぐことになり、いよいよぼくだけが取り残された。新緑の季節を迎える前にはなんとかしたいものだ。

f:id:kaba1981:20180412110542j:plain

「お前はどこのワカメじゃ?」

毎年この時期に行う年間行事に、「ワカメ採り」がある。ワカメは冬から春先にかけて収穫され、まさにいまが旬であり、肉厚で柔らかく何もつけずに生でも食べられて、甘味と歯ごたえもありそれだけで逸品になる。ぼくらはそんなワカメを追い求め、今年もホームグラウンドである淡路島に出向いた。
どうやって採るのか。単純である。竹竿の先に鎌を取り付けて、海面に近づいて根こそぎ刈るのである。浮遊するワカメを相方が同じ要領でタモで掬い、ふたり一組でエンドレスにこの単純作業を繰り返すのである。この原始的で文明を無視した作業に、今回は興味本位で勇敢にも新たなメンバーが参加してくれる。即戦力として期待して、前もって潮見表で干潮になる時間を調べてから、正午過ぎに作業を開始した。
単純な作業ほど奥が深いものである。ゆらゆらと水面を泳ぐワカメをタモで掬うことさえ難しい。水分を含んでいるので重量があって、初体験の人はワカメを刈って掬うだけでも四苦八苦している。おまけにテトラポットの先端という不安定な足場の悪さが、危険と隣り合わせで緊張感から抜け出せない。そして掬い上げた重いワカメを上まで持ち運ぶには急峻なテトラをよじ登らないといけない。たかだか30分で皆汗だくでくたくたになる。
たががワカメ、されどワカメ。そんな重労働を約2時間みっしり働いて収穫したワカメはゴミ袋にして10袋もかき集めた。皆すでに全身筋肉痛で、初参加の方々は汗びっしょりでほどよい疲れと眠気でぐったりしている。それでも自然の中で汗をかいて清々しい風を感じながら、悠然と目の前にある大量の黒々としたワカメを眺めていると、充足感でいっぱいになる。今年も無事に終了できて、よかったよかった。
余談だがワカメの茎の根元部分に「めかぶ」というものがある。近年の健康ブームで存知の方も多いだろうが、メカブには、アルギン酸、フコイダンと呼ばれる酸性多糖類や、ビタミン、ミネラル、脂質を豊富に含んでおり、ガンを抑制する効果があると注目を浴びている。
ぼくはその晩、早速食卓に並べた。捨てるところがなく、どんな食材にもマッチしておまけに身体に良いというこの万能なワカメに、ぼくは「お前はどこのワカメじゃ?」と、お約束通り往年の石立鉄男の口調で聞いてからおいしくいただきました。

f:id:kaba1981:20180319104531j:plain
f:id:kaba1981:20180319104603j:plain
f:id:kaba1981:20180319104638j:plain
f:id:kaba1981:20180319104715j:plain

春の嵐

だいぶ暖かくなってきた。大阪に春の訪れを周知させるひとつに「大相撲」がある。春場所である。
大阪場所は大阪府立体育館(現エディオンアリーナ大阪)で開催され、3月に入ると大阪のあちらこちらで普段見かけることのない巨漢の力士たちが街を練り歩く姿を目撃できる。髷を結ったびん付け油の匂いがなんとも言えない甘味な香りを春一番に乗せて、市民たちに冬の終焉と初春の水端を知らせてくれる。大阪人にとって、普段利用している駅や商店街、歓楽街になどに、まだ二十歳前後であろう、髷がまだ結えない長髪の浴衣姿の力士の姿を発見することで、「もう春やなぁ」「これから暖かくなるで」と天気予報よりも直に春の訪れを実感するのである。
「荒れる春場所」とはよく形容するが、春場所に限らずここ数年の相撲の取り組みは、横綱大関陣にしろ安定感などないに等しく、とくだん強調するほどのものではない気がする。最近は相撲協会のずさんな管理体制や関取同士のモラルの欠如に、相撲ファンのぼくは辟易している。よく相撲を「日本の国技」とか「伝統」といった言葉で評価するが、裏を返せば新しいことを取り入れられないということでもある。閉鎖的で外部からの見識に反応できず、井の中の蛙のまま時代に取り残されていくのだ。
そんなこともあって興味が薄れて相撲から離れてはいるが、いつかまた若貴ブームのような熱気とファンを魅了する個性的な力士の登場を期待して、ぼくは目の前を塞いでいる大きな身体の力士の横を通り過ぎていくのだった。

通勤の最寄りの駅にある「大寒桜」は一般の桜よりも開花が早いのだが、すでに淡虹色の花弁がすでに膨らんでいて、外灯に照らされ煌々と輝いている。長かった冬が終わりようやく春の足音が聞こえてきた。春の嵐に舞い上がる花弁を纏い、あがた森魚さんの名曲、「春の嵐の夜の手品師」を口ずさみながら、生暖かい夜風を背に、ぼくは自転車を漕いで帰った。

f:id:kaba1981:20180311213402j:plain