星をください

毎年恒例の舞鶴釣りキャンプに行ってきた。今回で6年連続の参戦である。いきさつは、上司の行きつけの居酒屋の大将とその常連客らで京都府舞鶴にある田井漁港にて、釣りと酒を思う存分堪能する企画だったのだが、その大将が店を閉めたきっかけで参加者は減りつつ、昨年は5名だけになっていた。

上司はしばらく居酒屋難民に陥っていたが、半年ほどでようやく好みの合う店を2店舗発掘。今回その大将2人を巻き込み常連客にも声をかけ、総勢14名の大規模なイベントとなった。

行き先の舞鶴日本海若狭湾に面し、自然豊かな町並みが広がり日本三景天橋立も近隣にはあって、夏は海水浴、冬はウィンタースポーツにと関西でも人気の観光スポットである。その反面、舞鶴には海上自衛隊が既存し日本海における海上自衛隊の最重要拠点で、有名な「岸壁の母」のモデルになった引き揚げ記念館など社会的にも歴史が非常に興味深い。
そんな山と海に囲まれた町を通り抜け、何をしに行くかといえば、メインは釣りである。獲物はそう、「アコウ」である。夏の魚である高級魚のアコウはこの季節になると体高も申し分なく油ものっていて、焼いてよし、煮てよし、刺身ならなお良しと、釣りキチたちの最高の肴なのだ。心強いことに今回はマスターが3人(現役は2人だが)もいるので、料理に関しては何の心配もなく、ただただプロの手さばきを傍観していればいい。
当日の明け方、ぼくらは舞鶴道の西紀SAで集合した。初対面の方々や何しろ「マスター」と呼べば3人振り返るのだから大変である。うまくコミュニケーションが取れるか心配だったが、そこは酒飲みの常連客同士、要領を得ている。現地に到着した頃にはすでに打ち解けあい、お互い釣りに夢中になっていた。
そして肝心の「アコウ」はというと、いくら釣竿を垂らそうとも一向に当たりもなければ影すら見あたらず、釣り上がってくるのはカワハギやサンバソウ(石鯛の子)、ベラなどの小物ばかりで、長時間の激闘の末、今回初めてアコウとご対面できなかった。
しかしながら、みんなの小物でも一喜一憂し楽しんでいる姿を目の当たりにし、その笑い声が何よりの疲労を和らげてくれた。
いよいよ夜はお待ちかねのキャンプである。段取りは経験値から完璧である。具材、酒、機材、食器類、手筈通り進行するだけである。切り抜いた一斗缶に材木で火を起こし、オレンジ色の炎を囲んで火照りきった顔を指さして爆笑しあう。
うまい肴と最高のロケーションの中で仲間らと時間を共有することが、普段の生活から逸脱し、くだらない憂さや人間関係などそれぞれが抱えている問題なんて、たいしたことではないと気づかされる。
しんと、静まり返った野道に外灯のライトが幻想的に映える。つまるところ、ストレス社会で生きているぼくらは年を重ねるに連れ、子どものころに体験した発見や驚き、感動を追求していくことが本懐ではないか。
そして、このキャンプでのもう一つの楽しみは「星」である。透き通った夜空とはこのことである。決して都会では拝見できない、混じりっ気なし純度100%の空漠の夜空には言葉は無力である。
宴が終了し、ぼくは車に戻りシートを倒してその群青色に浮かぶ光沢の北斗七星や冬の大三角形を漠然と眺めていた。今回の準備から当日までの段取りをひとり思い出し悦に入り、贅沢な星空と潮騒を子守唄に深い眠りに落ちていったのだった。
 
 

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ウェディング・ソング②

式場は京都市役所前から程近く、京都風情を意識しつつ落ち着いたきれいな会場だった。到着すると学生時代の仲間が何人か集まっていた。彼らは皆関東に在住なので、前乗りした者もいれば当日夜行バスで来た者もいる。久しぶりに彼らと対面してが、案外ぼくらが出会った二十歳のころとさほど変わらないものだ。年齢の割に若く映り、多少の体重の増減や肌艶の劣化を見受けても、まだまだみんな若いなと感心してしまった。初めは月日の経過がもたらすのか、みんなどこかぎこちなく会話に素が生まれたが、照れくさい中でも少しずつ打ち解けあい、アルコールも入れば何度も聞いた話でばか笑いするまでにそう時間はかからなかった。
新郎の彼とは大学時代の仲間であり同じ学科の同級生でもある。当時彼は大学近くの藤井寺という大阪でもディ―プな町で下宿をしていた。仲間内ではいまでいうイケメンに属し、悔しいかな20年以上経ったいま、壇上でこれまた若くてきれいな伴侶を捕まえた男はさらに男前になっていた。思い返せば、下宿近くの焼き肉屋でバイトをし、大学を卒業して東京の専門学校に入学してから就職するも仕事を転々として、京都に戻って飲み屋で働きながら素敵なパートナーを射止めた。彼の紆余曲折した人生の断片がスクリーンに流れ出されると、一同が彼と過ごした時間を思い出したに違いない。同じく奥さんの歴史もそうであって、女の子たちは涙を浮かべてこの時間を共有し合っていた。正直、結婚式そのものは大したことはなかった。仲間内の余興やスピーチもなく、ふたりの希望もあってか淡々と進行されて、スムーズに式典は終了した。ただ出席したぼくらには確実に温かい何かがが残り、それが引き出物とともにお土産になれば充分な気がする。披露宴はふたりの幸せを切に願う象徴の場であり、決して会場の規模や内容や私財で物差しする場ではない。
披露宴終了後、集まった仲間で酒を交わした。当然、結婚していないぼくが話題を独占した。ましてやもうひとりの独身族が知らぬ間に籍を入れている事実を知り、取り残され気持ちで心が折れていた。「まあ、地道にやっていきますよ」と声を振り絞るのがやっとで、ぼくは思い出話と感傷と羨望を心に閉じ込め、台風が接近し交通機関に影響を及ぼしはじめたので、今回はここらで散会となった。

あらためまして幸治くん、久美子さん結婚おめでとう。お幸せに。

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ウェディング・ソング①

結婚式に行ってきた。悲しいかな、当然ぼくのことではない。新郎である大学時代の友人の披露宴に出席すべく、電車を乗り継いで京都までの小旅行に出かけた。友人の出身が京都なので仕方がないことだが、関西在住にかかわらずいまだに京都に苦手意識を抱いており、仕事以外のプライベートで訪れることは皆無に等しい。多分、京都特有の建築物やしきたりに身体が拒絶するのは、日本文化の美徳や美意識を受けとる感受性がぼくには乏しいのだろう。また京都人に見受けられる、腹の内を見せないどこか距離を置くコミュニケーションも苦手だ。好みでいえば、三宮のガード下にいるワンカップ一杯で人生を説くおやじの方に惹かれる。それでもそんなおやじが外国人だらけの京都の街中を闊歩していたら、京都人ではなくとも躊躇いなくお縄にしていただきたい。
話が逸れた。年を重ねると昔の仲間と再会する機会は結婚式ぐらいになってくる。当然、住んでいる場所も違うだろうし、忙しない日々の中それぞれが年相応の仕事をこなしている。結婚をし家族ができればなおさらで、頻繁に連絡を取ることがなければお互い数年に数えるほどしか会うことがない。また会う必要もないと思う。そういう意味でも結婚式はみんなの同窓会の要素も含んでいて、懐かしい仲間と再会するいい機会にもなるのだ。
結婚式の当日、予報では大型の台風が西から接近し夕方からはさらに天候が荒れるという。ぼくは礼服をタンスから引っ張り出しウエストが悲鳴を上げながらもなんとかベルトで止めて身なりを整え、荷物になるが大きめの傘を持って出かけた。

管工機材・設備総合展

管工機材・設備総合展の季節がやってきた。東京では毎年、大阪、名古屋では隔年に開催され、先週は大阪のインテックス大阪で幕が開かれ、三日間びっしり取材をしてきた。
管工機材というとピンとこない方が大半ではないだろうか。ぼくたちがこの地球上で生活していくために必要な電気やガス、水道といった主にエネルギー施設、水供給施設、交通施設、情報施設など生活や産業の基盤となる公共設備を整え、充実させる必要不可欠な、いわゆるライフラインに関わるメーカーが一堂に勢揃いするイベント、それが管工機材・設備総合展なのである。
平時では見落としがちだが、ふと足を止めて見上げてみれば、そこには配管があり、それを接続し稼働させる継手やポンプ、バルブがある。一口に配管といっても千差万別で、用途にあわせて銅管や塩ビ管他、ぼくらの暮らしの水回りを快適に過ごすために、陰日向で日夜活躍してもらっている彼ら商材を紹介する展示会なのだ。
会場にはそれぞれのメーカーが工夫を凝らしたブースで来場者らをおもてなししてくれる。普段、耳にしない言葉や製品でも来場して自分の目で確かめて、直接触り、実際に実演してもらって担当者の説明を聞くと、自分がイメージしていたものと違ったり、逆に新しい商材のヒントやアイデアを発見したりもする。そう意味でも展示会は、何もわからずパソコンのボタンひとつで買い物をする、現代を牛耳っている世界とは違い、確かで自ら足を運ぶという買い物の本筋ではないだろうか。
おかげさまで、展示会は三日間行われ盛況裡に幕を閉じた。展示会ではよく遭遇することだか、同じ期間中に併設して他にも展示会が催している。この業界に関係がありそうな業界ならば、来場者が流れてくるものだが、往々にして畑違いなものが多い。因みに今回はAKBの握手会が行われていた。インテックス大阪にはファンの大群が溢れてしまい「まゆゆ命」「ゆいちゃんLOVE」など、それぞれの推しメンのうちわやTシャツを纏い、いざ彼女たちが待つ会場に勇んで突入していく男子諸君の行列。
ぼくはタバコを燻らせその光景を眺めながら、いつかは管工事業界もこれぐらい人が集まればいいのになと思い、タバコを揉み消し仕方なく「こじはる」グッズを購入したのだった。

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「恋は遠い日の花火ではない」

今年も夏が終わった。皆さんはいかがだっただろうか。ぼくはまさに瞬きしているうちに一瞬に過ぎ去っていった。関西地方はここ数日、朝夕は暑さが和らぎ、残暑を含みながらも季節の変わり目を肌で感じている。誰しもが年を取ると「時が過ぎ去るのは早いものだ」と異口同音唱える。となると80オーバーのお年寄りにとっては、一日の体感時間なんて瞬殺にすぎず、一年が半年ぐらいに感じるかもしれない。かくいうぼくも今年も残り四ヶ月になり、恐ろしいスピードでカレンダーのモデルが衣替えしていく姿で実感している。
毎年夏になると感じるのだが、花火大会が行われる夕暮れの時間帯に突如、浴衣姿の若者らが駅の中に現れる光景に判然としないものを抱く。彼らはお互いのパートナーとこれから夜空に舞う花火を仲良く観賞するのだが、どこか「花火」に固執しているように思えるのだ。それが夏のステータスかのように、狭い構内をバカ笑いしながらサラリーマンたちの肩にぶつかりながらも通り過ぎていく。急がないと今年の夏が終わってしまうとばかりに。そして刹那的な花火と同じように、次の日にはあれだけ群がっていた浴衣姿の恋人たちが忽然と姿を消しているのである。「時が過ぎ去るのは早いものだ」とは、年老いた老人の感傷だけで、若者たちは花火をと同じように瞬間の繋がりを楽しむことができるのだろう。
「恋は遠い日の花火をではない」。ぼくはそんなコピーが昔あったことを思い出し、少しセンチな気持ちになり、振り払うかのように電車に飛び込んだのだった。

先日受けた健康診断の結果が返ってきた。内臓や肝機能など血液類は何も問題がなく安心したが、体重の増加によるメタボリックシンドローム、いわゆる「メタボ」判定がCランクに突入しいよいよ要注意と尻に火が灯された。以前にダイエットに励むと高らかに宣言したにもかかわらず、この様である。自分でも不甲斐なさを痛感し、ぐうの音も出ない。原因は明らかに食べ過ぎに尽きる。しかも寝る前にがっつり食べるので、結果ジムで身体を動かしても日中歩き回っていても「いってこい」なのだ。このまま醜い中年メタボに真っしぐらか、まさに今から鍛えないと取り返しがつかなくなる。そう思いながらも、スナック菓子を頬張る右手を止められないのでは未来はない。

LOVEはじめました②

開演10分前に入場すると、まずその長居スタジアムの広大さに驚いた。陸上競技場として、数々のスポーツの祭典の舞台や世界のイベントに利用されてきたこの聖地に足を踏み込めるのは、高校球児が甲子園の土を踏むかの如く、ぼくは何かを達成したわけでもないのに、ひとり感傷に溺れて漠然と立ち尽くしていた。すでにスタジアムは見渡す限り人の山で、ほぼ満席に埋まっている。ぼくらはアリーナ席のちょうどステージから中央付近の場所で、ステージ上の演者を目視でき、なおかつ全体を見渡せる文句のない最高の場所であった。
開演が近づき緊張と興奮が最高潮に達し、スクリーンに過去の名曲にまつわるPVやアニメーションが流れ、ステージにミスチルのメンバーが遂に登場した。はっきりいって、そこからライブ終了までの記憶がほとんどない。これからライブに行く人もいるだろうから、詳細は省くが、期待を裏切らない素晴らしいライブだったことは伝えておきたい。2曲目の「シーソーゲーム」でやられてからは、怒涛のラインナップに打ちのめされ、最後の「終わりなき旅」のときにはもう完全にKOされた状態で、3時間の激闘に茫然と夜空を眺めるしか力は残っていなかった。
まずライブ振り返って記すべきことは、ステージのセットや高画質なスクリーン、レーザー光線や照明、音響に至るまで一流も超一流で、計算尽くされたクリエイターたちの失敗を許さない妥協なきプロ魂がひしひしと会場全体に伝わってきたことである。途中からは何か映画を観るような、ぼく自身がスクリーンに吸い込まれ出演している感覚に陥り、この経験だけでお釣りがくるなと思う。そしてミスチルメンバーの凄さをいやというほど堪能した。まず、メンバー全員が40代後半にさしかかったとは思えない身体が示唆するように、真夏のステージで3時間も歌詞も間違わず高い奇声を張り上げて走り回れる体力が、もう尋常ではない。普段から鍛えているのだろうと察しはつくが、プロというのはやはりプロであって、日本のトップアーティストに長年君臨し続ける理由がライブを観戦すれば一目瞭然で理解できた。何よりオーディエンスを意識しながらも巧みに演出するあたりが、したたかで銭を取れる数少ないアーティストであって、その答えが年代を越えて若者からおじさんまでを夢中にさせてしまう才能なのだろう。
ライブ終了後、ぼくは夜道を歩いていた。きれいな夜空だった。数十年振りのライブがミスチルでよかった。しかしまあ、音楽の力とは計り知れないものだ。またミスチルファンは、過去のアーティストのファンに比べマナーもよく、文字どおり音楽を楽しんでいるなと好感がもてた。心地いい夜風を肌に感じながら帰路に着き、さっそくミスチルの昔のアルバムを取り出したのは言うまでもない。

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LOVEはじめました①

8月である。夏である。連日、関西地方は猛暑日が続いている。今年は不規則な天候なうえ、集中的な豪雨や台風に見舞われ、一部の地域では甚大な被害をもたらした。被害に遭われた方々へ心よりお見舞いを申し上げ、筆を執らせてもらう。
夏の思い出作りに、Mr.Childrenのライブに行ってきた。あの「ミスチル」である。学生時代はよく聴いたアーティストのライブやフェスには行ったけれど、社会人になってからはそんな機会も皆無になり、10年近く前に下北沢のライブハウスでクロマニヨンズを拝見したのが最後だろうか。
なぜ日本を代表するミスチルのライブに行けるのかというと、学生時代の仲間が長年ミスチルの追っかけをしていて、以前から誘ってもらっていたのであるが、今回ようやく奇跡的にチケットが余りぼくに声がかかったのだ。彼女は時間と私財を費やし全国のライブツアーを全部回るほどの筋金入りで、ミスチルというか桜井和寿(彼女は敬愛を込めて和くんと呼ぶ)を崇拝し、プライベートから楽曲に至るまですべてを熟知している。そんなファンクラブ会員でさえ予約が難しいチケットを譲ってもらい、大阪市長居スタジアムに足を運んだ。
白昼の長居公園は大変なことになっていた。長居スタジアムはサッカーのセレッソ大阪のホームスタジアムで、試合の日には大変な混雑になるが、そんな比ではない、人の塊が群れで占領していた。これからライブに行くファンは、皆お揃いのTシャツやツアータオルを首に巻いているのですぐにわかる。そしてミスチルの客層は年代が幅広く、若い10代の中高生から年の頃なら50~60代のお父さんまで、老若男女関係なくファンがいることに年代関係なく支持されているミスチルに感心した。
なんとか人の並みを掻き分けてスタジアムの側までたどり着き、彼女から無事にチケットを受け取った。彼女の他にも同じミスチルを介して全国から仲間が集まり久しぶりの再会を喜んでいる。そして、ミスチルの近況や昨日のライブの席が最悪だったとかライブのセットリストの確認だとか、すでにミスチル談義が行われていた。それこそ、旅費や宿泊費、チケット代など合わせると相当な額になるはずだ。北から南まで全国のライブに参加する彼女たちからは、ミスチル愛が溢れでている。彼女たちを見ているとファンという存在がいかに貴重で、彼女らの存在でアーティストは成り立つ商売なのだと改めて気づかされた。
夏の日差しが強く汗がとめどなく流れてくる。本番まで30分を切った。今回のライブツアーは「Thanksgiving25」と銘打って、25周年を迎えたライブツアーらしい。なので、普通のツアーとは違い過去の名曲や普段演奏しない曲を、感謝を込めて披露するそうなので、最近のミスチルを全く知らないぼくとしては助かった。
ぼくはライブが始まるまでに間に合うかわからないほどの長蛇の列に並び、頭の中のラジカセのスイッチをポチっと押して「イノセントワールド」を聴きながらライブに備えた。